「人事権」と「沈黙の強制」の境界線
2026年1月、東京高等裁判所は あおぞら銀行 を巡るパワーハラスメント訴訟で、注目すべき逆転判決を言い渡した。
内部通報を行った元行員に対する長期の隔離配置について、銀行側の行為を違法なパワハラと明確に認定したのである。
■ 事件の概要
元行員は、業務上の問題について内部通報を行った後、
約8畳の応接室で、他の行員との接触をほぼ断たれた状態での単独勤務を命じられた。
この状態は 約3年3か月 に及んだ。
銀行側は「業務上必要な配置」「人事権の行使」と主張していたが、
控訴審の 東京高等裁判所 は、これを認めなかった。
■ 東京高裁の判断
高裁は、
- 業務上の合理性が乏しいこと
- 長期間にわたり人間関係から切り離されていたこと
- 精神的苦痛が重大であること
などを踏まえ、
この配置を 「人事権の濫用によるパワーハラスメント」 と判断。
銀行側に対し、約840万円の損害賠償の支払いを命じた。
特に重要なのは、
「形式上は配置命令であっても、実質的に孤立を強いる行為は許されない」
というメッセージが、司法から明確に示された点である。
■ この判決が投げかけるもの
この判決は、単なる一企業の問題にとどまらない。
- 内部通報者をどう守るのか
- 「問題を指摘した人」が職場から静かに排除される構造を、社会はどう是正するのか
- パワハラは「暴言」だけではなく、「孤立」や「沈黙の強制」でも成立する
そうした点を、改めて突きつけている。
働き方改革やコンプライアンスが叫ばれる中で、
「声を上げた人が損をする職場」が温存されていないか。
この判決は、企業にも、私たち社会にも、その問いを投げかけているのではないでしょうか。
■「公益通報者保護法」との関係 ――制度はあった、だが守られていたか
今回のあおぞら銀行パワハラ判決は、
公益通報者保護法 の趣旨を、司法が実質的に補強した判決とも言える。
公益通報者保護法は、
企業内部で不正や法令違反を通報した労働者について、
- 解雇
- 降格
- 不利益な配置転換
- その他の不利益取扱い
を禁止している。
しかし現実には、
「露骨な処分はしないが、職場から静かに切り離す」
という形での圧力が後を絶たない。
今回問題となったのも、まさにそのグレーゾーンだった。
■「処分ではないから適法」という理屈は通らない
銀行側は、人事権の行使として
「業務上必要な配置」「懲戒ではない」と主張していた。
だが裁判所は、
- 内部通報後というタイミング
- 長期間にわたる孤立状態
- 業務実態の乏しさ
を総合的に見て、
形式ではなく「実質」で判断した。
これは、公益通報者保護法が本来想定している
「通報したことを理由に、働く環境を悪化させてはならない」
という考え方と軌を一にする。
■ 法律だけでは足りなかった現実
公益通報者保護法は、2022年改正で
- 内部通報体制の整備義務
- 通報者探索の禁止
- 事業者の責務明確化
などが強化された。
それでもなお、
「制度はあるが、現場での運用が追いついていない」
という現実が、この事件にはにじんでいる。
通報者を守るはずの制度があっても、
職場での孤立、評価の形骸化、居場所の剥奪が続けば、
通報者は事実上、声を上げられなくなる。
■ この判決が持つ意味
今回の高裁判決の意義は、
公益通報者保護法を単なる理念で終わらせず、
- 「通報後に何が起きたか」
- 「その配置は合理的だったのか」
- 「労働者の尊厳が保たれていたか」
を司法が踏み込んで判断した点にある。
言い換えれば、
「通報者を守る責任は、制度整備で終わらない」
という明確なメッセージだ。
不正を正そうとした人が、
声を上げた結果、職場で孤立する社会であってはならない。
公益通報者保護法の存在を、
「守っているつもり」の免罪符にするのか、
それとも本当に機能させるのか。
あおぞら銀行事件の判決は、
企業のコンプライアンスの“本気度”が、
いま厳しく問われていることを示している。
社労士の視点から見た本件判決の重み
「合法に見える対応」が、最も危うい
このあおぞら銀行事件は、社労士の立場から見ると、
「形式上は制度を守っているように見える企業対応の危険性」を、これ以上ないほどはっきり示した事例である。
企業側は、
- 懲戒処分ではない
- 解雇していない
- 人事権の範囲内の配置
という「一見もっともらしい説明」を積み重ねていた。
しかし裁判所は、そうした形式論に与しなかった。
■ 実務で問われるのは「説明できる合理性」
社労士実務では、人事異動や配置転換について
「業務上の必要性があるか」
「本人に過度な不利益を与えていないか」
を常に確認する。
本件で致命的だったのは、
長期間・単独・実質的に業務から切り離された状態が続いた点だ。
仮に一時的な待機や業務整理であれば説明の余地はある。
しかし、3年以上にわたる隔離状態を
「業務上必要だった」と説明し切るのは、
社労士の立場から見ても極めて困難である。
■ 「パワハラは言動だけではない」
近年のパワハラ防止法制では、
パワハラは次の3要素で判断される。
- 優越的な関係を背景とした言動
- 業務上必要かつ相当な範囲を超えている
- 労働者の就業環境を害している
本件は、暴言や叱責がなくとも、
「人間関係からの切り離し」そのものがパワハラになり得る
ことを、裁判所が正面から認めた例と言える。
これは、企業実務にとって非常に重い。
■ 公益通報対応で企業が陥りがちな落とし穴
社労士として現場を見ると、
内部通報後の企業対応で、次のような判断がなされがちだ。
- 「触らない方が安全だから、とりあえず別部署へ」
- 「周囲が気を遣うから、距離を取らせよう」
- 「問題が大きくならないよう、静かな環境に」
しかし、それが
本人のキャリア・尊厳・社会的つながりを奪う形になれば、
今回の判決が示す通り、違法と評価されるリスクがある。
■ 社労士として企業に伝えたいポイント
この判決を踏まえ、社労士の立場から強調したいのは次の点です。
- 公益通報後こそ、配置・評価・業務内容の「記録」と「説明」が不可欠
- 配置転換は「一時的」「目的」「期限」を明確にする
- 孤立させない工夫(定期面談・業務共有・評価の可視化)を怠らない
- 「問題を起こした人」ではなく「制度を支えた人」として扱えているかを自問する
公益通報者保護は、法令遵守の問題であると同時に、
企業文化とマネジメントの問題でもある。
■ 結びに代えて
社労士として言えるのは、
「悪意がなかった」ことは、免罪符にはならないということだ。
静かに席を外され、仕事を失い、居場所を奪われる。
それが3年も続けば、労働者の人生に与える影響は計り知れない。
今回の判決は、
「制度は整えている」という企業の自己評価と、
「人として尊重されていたか」という現実との乖離を、
鋭く突きつけている。
内部通報後の対応チェックリスト
あおぞら銀行判決を踏まえて
内部通報があった「その瞬間」から、企業の対応は法的リスク管理の局面に入ります。
以下は、公益通報者保護法 と近時裁判例を踏まえた、実務チェックリストです。
① 初動対応(通報直後)
□ 通報者の特定・探索を行っていない
□ 通報内容と「通報者本人の評価」を切り離して整理している
□ 通報を理由とした発言(「厄介な人」「面倒」など)が管理職間で出ていない
□ 通報者に対し「不利益な取扱いをしない」旨を明確に伝えている
□ 対応経過を時系列で記録している
▶ NG例
「念のため別室で」「落ち着くまで待機」など、理由を曖昧にした隔離。
② 配置・業務の扱い
□ 配置変更・業務変更の業務上の必要性を説明できる
□ 一時的対応の場合、目的・期間・見直し時期を明確にしている
□ 単独勤務・隔離状態になっていない
□ 業務内容が形骸化していない(実質的に仕事がある)
□ 通報前と比べ、キャリア上の著しい不利益が生じていない
▶ 裁判リスクが高い状態
・長期間の単独配置
・業務実態が乏しい
・期限のない「様子見」
③ 人間関係・職場環境
□ 定期的な面談(上司・人事・第三者)を実施している
□ 通報者が孤立しないよう、業務上の接点が確保されている
□ 周囲に対して「通報者への不利益取扱い禁止」を周知している
□ 暗黙の排除(会議から外す、情報共有しない)が起きていない
▶ ポイント
パワハラは「暴言」だけでなく
人間関係からの切り離しでも成立します。
④ 評価・処遇
□ 評価基準が通報前後で不自然に変わっていない
□ 評価内容を合理的に説明できる
□ 「協調性がない」「扱いづらい」など主観的評価が使われていない
□ 昇進・昇給・賞与への影響を検証している
▶ 実務上の落とし穴
評価を下げる意図がなくても、
説明できなければ不利益取扱いと判断される可能性があります。
⑤ 組織としての体制
□ 内部通報対応マニュアルが実態に即している
□ 窓口担当者・管理職が法の趣旨を理解している
□ 「問題を起こした人」ではなく「制度を支えた人」と位置づけている
□ 社労士・弁護士など第三者の関与を検討している
■ 社労士から企業へのひと言アドバイス
「やり過ぎないこと」より
「説明できること」「孤立させないこと」
これが、内部通報対応の最重要ポイントです。
悪意がなくても、
・長期
・単独
・実質的な業務排除
が重なれば、違法と判断される時代です。
内部通報は、企業にとって「リスク」ではなく、
組織の健全性を測るリトマス試験紙です。
あおぞら銀行事件の判決は、
「制度を整えているか」ではなく、
「人として尊重していたか」を問うものでした。
このチェックリストが、
同じ過ちを繰り返さないための実務ツールとして
役立てば幸いです。

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